世界各地に散らばっている「奇界遺産」を、すべて現地に赴き、カメラに収めている佐藤健寿。世界が小さく近くなったように思える現在、彼の活動を見ていると、実は逆に、世界は大きく遠くなってしまったことに気がついた。

presented by LIVING IN A BORING NATION
Edit&Text by Tomohiro Okusa [WANDERLUST]
Website by WDI.
All Photographs © KENJI SATO

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即日辞表を提出した、 1日限りの会社員体験

大学は武蔵野美術大学ですよね。大学を卒業後、今の仕事をする前に、
どこかに就職はしたんですか?

大学を出てわりとすぐ、誘われてデザイン会社の職に就いたことが一度だけあります。条件も良くて、いい会社だったんですが、1日で辞表を出してしまいました。デスクに座ったんですが、その瞬間に変な感情が湧いてきたんです。小学生のときに、まだ2時間目で、放課後が遠くて憂鬱な気分みたいな…。なんとなく周りにならって就職してはみたものの、実際に会社という場所の机に座った途端、色々と突き詰めて考えると、そこにいることの無意味さというか、理由のなさに気づいて急に恐ろしくなりました。

最盛期は1日で40万ヒットの人気サイトX51.ORGを運営

「X51.ORG」のサイトは、学生時代から始めていたという話ですが、
当時はまだインターネット黎明期ですよね?

まだテレホーダイの時代でしたね。いろいろ遊んでいるうちに、海外のサイトを見るようになって、"こんなおもしろいサイトがあるんだ"って集めていったのがきっかけです。今でこそ、ああいうサイトはたくさんあるけど、当時はほとんどなかった。ただ英語圏の情報を日本に流すだけで、これだけ需要があるんだなと痛感しました。

サイトの運営でお金は稼げたんですか?

広告収入で多少お金も入ってきましたけど、仕事にしようとは思っていませんでした。仕事にすることで記事に変なバイアスがかかるのは嫌だし、本気でサイトをやりたければ違うやり方があると思って。

オカルト業界も高齢化社会!?

扱う素材としては、UFOやオカルト、奇界なもの。
もう、それを仕事にしていこうと?

自分でも知らないうちにそうなっていきましたね。いまだに違和感がありますよ。自分がロズウェル事件や雪男を、人様に語っているなんて。矢追純一さんや並木伸一郎さんなんかには冗談まじりに「やっと後継者がでてきたな」とか言われるんです。この業界も高齢化が進んで、確かに若い人がいないんですね。ただ、UFOとかUMAは30年くらい前から情報がほとんど変わってないし、何よりネットによって、特にこの分野は専門家というものが成り立ちづらくなってます。テレビに出て騒いでいる専門家よりも鋭いことを書いたり、知識をもってる素人はいくらでもいる時代ですから。もっとも、これは何もオカルトに限らないことですが。

Googleでも、奇界遺産には行ける。しかし……

著書のなかでも、100%信じているわけではないと書いているし、落合信彦さんのように何かを暴こうというジャーナリストというわけでもないですよね。それなのに、このような活動をやっている意義は、どこにありますか?

インターネットは、見ているその瞬間は刺激的で楽しいんですけど、自分のなかに蓄積されていくものはほとんどない。たくさん蓄積されていくような"錯覚"はするんですけど。だから誰でも何でも見られる今みたいな時代にあって、物知り顔をしていても意味はないし、現地に色々見に行くことの方が面白いのかなと思っただけのことです。ただこれから先、自分が生きてる間は加速的にネットの時代になっていくと思います。今ネットに没頭して得た色々な情報も、十年後にはほとんど意味がなくなるか、ワンクリックで誰でも得られる情報になりうると思うんです。このわずか十年だけ振り返ってみてもそうだし。だったら、今はネットの面白さに没頭するよりも、ネットによって消えていくものこそ良く見ておいた方がいい、という直感みたいなものがあります。それは10年後にはなくなっているかもしれませんし。

日本のオカルトは、『ムー』以来、変わっていない

他のメディアと、自分のメディアの違いは何ですか?

オカルト的なものを扱っている中心メディアは、日本ではやはり『ムー』であって、いまだに30年前とやっていることは変わらない。閉じた世界なんです。でもパッケージングや見せ方を工夫することで、いろいろな人が見てくれる余地はまだいくらでもあります。実際、X51.ORGも奇界遺産も、ぎちぎちのオタクではなくて、ごく普通の人たちが見てくれています。

旧来あるオカルトサイトって、いかにもなタイトルだったり、おどろおどろしいデザインだったりするんです。でも、白い清潔なデザインにしたら、普通の人が見てくれる。扱っている内容は突飛もないかもしれないけど、見るのも笑うのも、普通の人たち。マニアックではなく、実は普遍性のあるコンテンツなんだと思います。

漫☆画太郎さんも、古平正義さんも、UFOも好き

扱う素材としては、UFOやオカルト、奇界なもの。もう、それを仕事にしていこうと?
パッケージングや見せ方も、強く意識されているということですよね。ここに漫☆画太郎を持ってくる。
これもフックになりますよね。

ファッションとオカルトを同時に見るような、興味の幅が広い人は、実は世の中にたくさんいるはずです。ただ出版系の人と話していて感じるのは、"こういう人達が読む雑誌はこう"、"こういう人達が好きなものはこれ"、"こういう本はこんなデザイン"とか、いまだに古い文法みたいなものを作る側が過信しすぎているように思います。で、失敗が怖いからその文法にそったものしか作らない。だけど実際には、周りのみんなを見たって、興味とか嗜好はもっと複雑です。もう一方では、商業性のないといわれるアート系の写真集も、あれはあれで閉じた世界なんだと思います。
昔、詩の雑誌の人と話していて、"詩の世界は読み手と書き手の数がイコールだから先がない"という話を聞いたことがあります。

写真集もそれに近い閉塞感があると思います。みんな商業性から逃れて、自由に作ってるフリをしながら、実際にはなぜかみんな似たようなシンプルでクールな装丁で、洒落た英語のタイトルだったりする。ある意味では商業作品よりもさらに無意識的に、決められた文法に従っている世界にも見える。でも僕自身としてはもっといろいろな人達に見てもらいたいし、そのために古平さん的なクールな写真集の側にも、画太郎さん的なサブカルの世界にも、いろいろな文脈にフックしながらも、実はどの側に乗ることも拒否するような物にしたかったというのはあります。

ビンロウとエリア51が並んでいるなんてあり得ない

『奇界遺産』には、一件脈絡もなく、おかしなものが並んでいるわけですが、1冊にまとめてみて、結果的に"自分はこういうものが好きなんだな"と気付いたことはありますか?

うまく説明できないけど、変な違和感があったものが並んでいます。さっきのパッケージングの話にも通じるけど、例えば、ビンロウ西施とエリア51とクエラップ遺跡が1冊の本に収まっているということは、今までなかったと思います。でも並列して見たときに、ある種の整合性みたいなものが見えればいい。自分はそういう本が欲しかったし、作りたかった。でも過去にないからという理由ではなく、単純にやりたいことを突き詰めたらこうなっただけです。

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やりたいことをやる前に、出せる"場"を作る

好きなことをしてメシを喰っていきたい、という思いは誰でもあると思いますが、
ぶっちゃけ、本の売り上げだけではラクではないですよね?

そのあたりは、僕もそんなにうまくやれているわけじゃないですね。ギャラが良くない仕事でも、こういう本を作りたいというちゃんとした意思や熱意があって、面白ければやらせてもらいます。もちろん面白くない仕事もありますが、それはやりたいことをやるための土台作りだと思ってやることもあります。要はバランスですかね。それは多くのクリエイターが悩むことだと思います。美大時代は周りに面白い人がごろごろ転がっていました。

でも、個性も才能もあるのに、社会性や政治力がなくてうまくいかない人が本当に多い。結局、世間に出ると世渡りの上手い一般大学出身のガツガツした人達に、才能以外のところで負けてしまうんですね。で、引きこもって、分かる人にだけ分かればいい、というのをずっと繰り返してしまう。だからいつまでも外に広がらないし、受け手イコール作り手みたいな、閉塞的な市場になってしまう。そうならないためには、出せる"場"を作ることが大事なんだと思います。

アメリカの美大の先生は、額装のことしかいわなかった

自分を出せる場を作らなければならない、ということはどこで学んだんですか?

日本の大学を出た後、アメリカの美術大学に行ったんですが、そこで学んだことが大きいです。日本の美大の先生は、講評会で何より作品の中身を評価します。仮に額装がちょっとゆがんでいてもあまり咎めない。それは作品の質とは関係なくて、"まあ学生だしそういうのは愛嬌"みたいな。でも、少なくとも僕がいたアメリカの美大では、先生は中身を日本ほど評価しなかったんです。作品に対して自分の意見と、生徒全員にそれぞれ意見をいわせて終わり。それよりも"額装ができているか"、"作品をきちんと説明出来るか"など、まずプレゼンテーションの部分を積極的に評価する。

つまり、これが商品として成立するかどうかを見極めるわけです。なぜかといえば、もちろん海外ではアーティストという職業が社会の中である程度、成立しているから。商品として成り立たないものは、そもそも社会で評価さえされないからです。実に当たり前のことですが、日本ではアーティストが作っているものは作品であって商品ではない、などの無意味な議論に終始しています。

僕は破綻したくないタイプなんですよ

これからは生き方が多様化して、"敷かれたレールの上だけを歩けば安心"という若者たちは減っていくと思います。佐藤さんは、ライフスタイル=仕事になっているという意味において、若者のお手本にもなると思うんです。

僕もそんなに思い切りのいい人間じゃないので、常に葛藤はありますよ。"これを続けていて大丈夫かな"と、上の世代を見ていても不安に思うし。僕みたいなことをやりたいと思えば、とりあえずは誰でもできることです。現場に行って写真を撮って本にする。もちろん、それなりには大変ですけど。

葛藤があっても、いまのところ、辞めるという方向は選ばず、"自分がやりたいことを実現させるためには、何をすべきか?"と考えているわけですよね。

好きなことをやり続けたせいで、ものすごく貧乏になって、生活自体が楽しくなくなったら、もっと普通の仕事をしながら、時間をかけて何か作ることを選ぶかもしれない。それはヌルい、といわれるかもしれないけど、実際、わからないと思うんですよ。過激な作家ぶって破綻して終わる人よりも、社会と適当に折り合いをつけながら、淡々と何作も、何年もしつこく作り続ける人の方が、本当はずっと過激なのかもしれない。だから僕も簡単に破綻しないようにバランスを取りながら、やりたいことをやっていきたいと思います。すごく普通の話ですけど、普通にやっていくことが、一番、難しい世界だと思います。

All Photographs © KENJI SATO

image:Kenji Sato

profile

佐藤 健寿 さとう けんじ

超常現象や世界の奇妙な現象を調査するサイトX51.ORGを主宰。累計アクセス2億5千万を超え、様々なウェブアワードを受賞。2003年、エリア51で事故に遭ったのをきっかけに、UFOやUMA、ミステリー・スポットや奇妙な人、物、場所を追って、ヒマラヤ、南米、チベットなどを実際に訪れ、世界中を取材。現在はフォトグラファー/作家として雑誌等で活動。
ウェブサイト:X51.ORG / 著書:『奇界遺産』(エクスナレッジ),『X51.ORG THE ODYSSEY』(講談社)

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